十二日ぶりの「会いたい」は、彼女がずっと待っていた言葉だった。

だから、その言葉が今夜だけのものかもしれないと考えることが、いちばん怖かった。

この物語はフィクションです。
読者から寄せられる悩みをもとにした架空の相談を、気持ちを整理するための物語として描いています。

「今から会えない?」

木曜日、午後十一時三十八分。

相談者のスマートフォンに、十二日ぶりのメッセージが届いた。

23:38 十二日ぶりの七文字

恋ノート編集室の夜の相談席で、相談者は何度も同じ画面を開き直していた。

「今から会えない?」

彼から最後に連絡が来たのは、十二日前だった。

その間、相談者からは二度メッセージを送っている。

一度目は、

「この前はありがとう。楽しかった」

二度目は、

「来週、どこかでごはん行かない?」

どちらにも既読はついていた。

返事はなかった。

それでも、「今から会えない?」という七文字を見た瞬間、十二日間の寂しさより、今夜会えるうれしさの方が大きくなった。

相談者は椅子の横に置いた鞄を持ち上げた。

編集室から彼のいる駅までは、電車で二駅。

十一時五十二分の電車に乗れば、まだ間に合う。

ミオが尋ねた。

ミオ

会いに行きたいですか

相談者はすぐにうなずいた。

「行きたいです」

迷っている人の声ではなかった。

「会うと、本当に優しいんです」

彼は、相談者がコーヒーを飲めないことを覚えていた。

夜に会った時は、温かいココアを買ってくれた。

駅の階段では、相談者が履いている靴を見て、歩く速さを緩めてくれた。

話している間は、スマートフォンをほとんど触らなかった。

帰り際には、いつも少し寂しそうな顔で言った。

「また会おう」

その顔を見るたび、相談者は思った。

連絡が少ないだけ。

予定を決めるのが苦手なだけ。

会っている時の彼が、本当の彼なのだと。

「明日の朝は、何がありますか」

ミオに聞かれ、相談者は鞄を持ったまま答えた。

「八時半から、仕事の打ち合わせがあります」

先月も、彼から深夜に呼ばれた。

帰宅したのは午前三時を過ぎていた。

翌朝、相談者は目覚ましを止めたことにも気づかず、後輩を一人で打ち合わせに出してしまった。

後輩は「大丈夫でした」と笑ってくれた。

その笑顔を思い出すと、今も胸が痛んだ。

「でも、今日は終電で帰れば大丈夫です」

相談者は時計を見た。

彼の駅から自宅へ向かう最終電車は、午前零時四十九分。

会えるのは三十分ほどだった。

レンが、閉じかけていたノートを開いた。

レン

行かない方がいいとは言わない

相談者が顔を上げる。

「会いたいと思ったのは、本当なんでしょう」

「はい」

「彼の『会いたい』も、嘘とは限らない」

相談者の表情が少し緩んだ。

レンは続けた。

レン

ただ、今夜会いたいという本音と、これからどんな関係を作りたいかは、同じ答えとは限らないと思う

ミオが青いペンを相談者へ渡した。

ミオ

会いに行くなら、今夜の自分が守りたいことを一つだけ決めませんか

相談者はノートに二行書いた。

午前零時四十九分の電車で帰る。
次は昼に会える日を、一緒に決めたいと伝える。

彼の気持ちを試すためではない。

今夜会えた喜びだけで、自分の望みを消さないための二行だった。

午後十一時四十七分。

深夜の編集室で十二日ぶりの連絡を受け、仕事用トートを持って立ち上がる成人女性

相談者は編集室を出た。

00:08 会えば、やっぱり優しい

彼は駅前のコンビニの前にいた。

相談者を見つけると、申し訳なさそうに片手を上げた。

「ごめん。急に呼んで」

「ううん」

彼は、コンビニの袋から温かいココアを取り出した。

「これでよかったよね」

相談者は受け取った。

十二日間、何度も「もうやめよう」と思った。

けれど、缶から伝わる温かさだけで、その決意がすべて間違っていたような気がした。

二人は、駅前の小さな広場のベンチに座った。

雨上がりの深夜の駅前ベンチで、成人男女が見つめ合いながら温かいココアを手渡す場面

彼は仕事で大きな失敗をしたと話した。

自分が考えた企画が通らなかったこと。

上司の前では平気なふりをしたこと。

同僚と飲みに行ったものの、楽しくなれなかったこと。

「家に帰って一人になるのが、なんか無理で」

彼は足元を見ながら言った。

「誰にも会いたくなかったけど、君なら会いたいと思った」

相談者の胸が熱くなった。

君なら。

その言葉を、何度も心の中で繰り返した。

十二日間、忘れられていたわけではなかった。

彼が苦しい時、思い出してもらえる人だった。

それは確かに、うれしかった。

相談者も仕事の話をした。

翌朝の打ち合わせのこと。

先月遅刻し、後輩へ迷惑をかけたこと。

彼は眉を下げた。

「それは帰った方がいいね」

「うん。終電で帰る」

「そっか」

彼は少し笑った。

「でも、もう少しだけいてほしいな」

相談者は時計を見た。

午前零時三十二分。

最終電車まで、十七分。

「次は、もう少し早い時間に会わない?」

相談者は、できるだけ軽い声で言った。

「来週の土曜日か、再来週の日曜日。昼ならどっちも空いてるよ」

彼はスマートフォンを取り出した。

カレンダーを開くのかと思った。

けれど、画面を一度見ただけで、ポケットへ戻した。

「まだ予定わからないんだよね」

「どちらかだけでも、空けられそう?」

「先の約束、あんまり得意じゃなくて」

彼は困ったように笑った。

「今こうして会えてるんだから、今日はそれでよくない?」

相談者は手の中のココアを見た。

会いたいと言った彼も、本当だった。

ココアを覚えていた彼も、本当だった。

仕事で傷つき、一人になりたくなかったことも、おそらく本当だった。

ただ、その本当の中に、相談者の来週はまだ入っていなかった。

00:43 最終電車まで六分

駅の発車案内が切り替わった。

最終 00:49

相談者は立ち上がった。

「そろそろ行くね」

彼はベンチに座ったまま、相談者を見上げた。

「もう?」

「終電だから」

「タクシーでも帰れるでしょ」

責める口調ではなかった。

本当に、あと少し一緒にいたいだけの顔だった。

「今日は一人になりたくないんだ」

相談者の足が止まった。

ここに残れば、彼は安心する。

自分も、まだ彼の隣にいられる。

終電を逃しても、明日の朝に少し無理をすればいい。

先月も、そう思った。

眠そうな顔で一人きりの打ち合わせへ向かった後輩も、最初は「少しくらいなら」と思った結果だった。

「私も、帰ったら寂しいよ」

相談者は言った。

彼が少し驚いた顔をした。

「じゃあ、もう少しいればいいじゃん」

「でも、あなたの寂しさは今夜、私に会えば少し軽くなるでしょう」

彼は黙っている。

「私の寂しさは、明日からまた始まるの」

声が震えた。

言わなければよかったと思った。

せっかく会えた夜を、自分から難しくしている気がした。

それでも、相談者は続けた。

「次にいつ会えるかわからないまま、また連絡を待つことになるから」

「そんな先のことまで考えてなかった」

彼は正直に答えた。

その言葉は、冷たくはなかった。

だからこそ、相談者にはよくわかった。

彼は今夜、本当に会いたかった。

けれど、相談者とのこれからまで考えて会いたかったわけではなかった。

相談者は、鞄の持ち手を握り直した。

「私、急に会える夜だけじゃなくて、前もって決めた日にも会いたい」

「うん」

「次は、昼に会える日を決められた時に会いたい」

終電前の駅前で、鞄を持って立ち上がった成人女性と、ベンチから彼女を見上げる成人男性

彼はすぐには答えなかった。

駅から、発車を知らせる音が聞こえた。

「わかった」

少しして、彼は言った。

それが何を了承した「わかった」なのか、相談者には判断できなかった。

それでも、もう一度説明する時間はなかった。

「今日は会えてうれしかった」

相談者は言った。

それは嘘ではなかった。

「俺も」

彼の言葉も、たぶん嘘ではなかった。

相談者は改札へ向かって走った。

00:49 必要とされた夜の終わり

最終電車の扉が閉まる直前、相談者は車内へ滑り込んだ。

息を整えていると、スマートフォンが震えた。

「今日は来てくれてありがとう」
「会えて助かった」

相談者は、画面を見て少し笑った。

必要とされたことは、やはりうれしかった。

その喜びまで、偽物にする必要はなかった。

ただ、彼に必要とされた夜が終わった後、自分には何が残るのか。

それも、見ないふりはできなかった。

相談者は返信した。

「私も会えてうれしかったよ」
「次は前もって、昼に会う日を決めたい。その約束ができる時に連絡してね」

既読はついた。

返事は来なかった。

電車の窓には、暗い街と自分の顔が重なっていた。

相談者は悲しかった。

正しいことをしたから、心が軽くなるわけではなかった。

彼が明日から変わる保証もない。

もう呼ばれなくなるかもしれない。

それでも今夜は、会いたい気持ちを否定せずに、自分の望みも置いて帰ることができた。

07:36 彼が選んだ関係

翌朝、目覚ましが鳴る少し前に目が覚めた。

眠りは浅かった。

相談者は、枕元のスマートフォンを手に取った。

彼からメッセージが届いていた。

送信時刻は、午前二時十四分。

「昨日はありがとう」
「正直、先の予定を決めたり、付き合うとか考えたりするのは、今は難しい」
「昨日みたいに会えるなら、また会いたいと思ってる」

相談者は、三度読み返した。

彼は初めて、関係について答えてくれた。

聞きたかった答えではなかった。

けれど、「今はわからない」と待たされ続けるより、ずっとはっきりしていた。

彼が望んでいるのは、寂しい夜に会える関係。

相談者が望んでいるのは、昼の予定にも自分の居場所がある関係。

どちらが悪いという話ではなかった。

ただ、同じ関係ではなかった。

相談者は返信欄を開いた。

長い文章を書きかけて、消した。

彼に理解してもらうための説明ではなく、自分が決めたことだけを書く。

「正直に言ってくれてありがとう」
「私は、急に呼ばれた夜だけ会う関係では続けられない」
「だから、これまでみたいな会い方は終わりにするね」

送信した後、涙が出た。

朝の部屋で関係を終える返信を送り、涙を拭きながら仕事へ向かう支度をした成人女性

彼を嫌いになったわけではない。

会えば優しかったことも、ココアを覚えていてくれたことも、消えない。

それでも、優しかった時間だけをつないで、望んでいない関係を続けることはできなかった。

数分後、彼から返事が来た。

「そっか」
「ごめん」

それが、最後のメッセージになった。

相談者はスマートフォンを伏せた。

午前七時四十八分。

打ち合わせには、十分間に合う時間だった。

彼に会えなくなる朝は、何かを取り戻したようには感じられなかった。

ただ、自分の一日がもう、誰かの寂しさによって突然始まったり、終わったりするものではなくなっていた。

恋ノートに残す一文

今夜、必要とされたことと、
これからも大切にされることを、
同じだと決めなくていい。


似た誘いに揺れているなら、会いたい時だけ連絡が来る時の見分け方で繰り返しを確認し、都合のいい扱いになっていないかを見るサインと曖昧な関係で守りたい境界線へ進んでください。

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