この物語はフィクションです。
幹事は、言うだけ言って駅とは反対の道へ曲がっていった。
詩織と航太は、しばらくその背中を見送った。
――二人とも、毎回、相手が来るか聞いてたよ。
笑いながら落とされた言葉が、まだ耳の近くに残っている。詩織は歩き出した。航太も半歩遅れて隣に並ぶ。駅の明かりは通りの先に見えていた。ここから改札まで、いつもの速度なら十分もかからない。
「バス、あとどれくらい?」
聞いてから、詩織は自分がまた、会話ではなく帰る条件を確かめていることに気づいた。
航太はスマートフォンを出し、画面を見てポケットに戻した。
「二十分ない」
「じゃあ、急いだほうがいいね」
詩織は少し歩幅を広げた。航太も合わせた。靴音が同じ間隔で続く。これなら間に合う。間に合うように歩けば、何も決めないままでも改札には着ける。
信号が赤になった。二人は白線の手前で止まった。
「さっきの」
航太が言った。
詩織は正面を見たまま、「うん」と答えた。
「聞いてたの、いつから?」
「最初の年の、二回目から」
答えると、思っていたより具体的な数字になった。詩織は聞き返さなかった。航太がいつからだったか知れば、自分も今夜の答えを返さなくてはいけないような気がした。
信号が青に変わった。航太はすぐには渡らなかった。後ろから来た自転車を先に通してから、詩織の横へ戻る。
「俺は三回目から」
詩織は笑いそうになった。自分だけではなかったという安堵が、息より先に上がってきた。けれど出てきたのは、別の言葉だった。
「律儀だね」
「詩織さんも」
そこで会話が切れた。駅は近くなっていた。改札へ上がる階段の案内が見える。
詩織は鞄の持ち手を握り直した。次はどうするの、と聞けばよかった。けれど、それではまた、航太の予定を尋ねるだけになる。来週の金曜は簿記の講座がない。翌朝も早出ではない。そこまで頭の中で確かめてから、詩織は自分に腹が立った。言いたいことは日程表ではなかった。
「もう、みんなで集まることはないんだよね」
口から出たのは、それでも確認だった。
「うん」
航太は歩く速度を落とした。駅へ急ぐ人が二人の脇を追い越していく。
「だから」
航太が言った。そこで一度、改札の時計を見た。
「今度、二人で飯に行かない?」
詩織は足を止めた。航太も二歩先で止まり、振り返った。
「相談とか、なくても」
その一言のあとに、急かす言葉は続かなかった。航太は笑ってごまかしもしなかった。ただ詩織の返事が届く場所に立っていた。
嬉しい、と思った。返事はもう決まっているのに、口に出すまでにひと呼吸かかった。
航太は待っていた。今度は時計を見なかった。
「行きたい」
自分の声が、思ったより近くに聞こえた。
航太の肩がわずかに下がった。詩織はその変化を見てから、続けた。
「来週の金曜なら、七時半。どう?」
「行ける」
「駅の近く?」
「うん。店は、あとで二人で決めよう」
航太はそこで時計を見て、さすがに眉を上げた。
「もう行かないと」
「それは急いで」
今度は詩織が先に歩き出した。二人で階段を上がり、改札の前まで来る。航太は交通系カードを出し、読み取り部へかざす前に振り返った。
「じゃあ、来週の金曜」
「七時半」
「忘れない」
「私も」
航太は改札を通った。向こう側で一度だけ手を上げ、そのままホームへ続く通路を急いでいく。詩織は改札の外に残った。姿が見えなくなるまで待ってから、スマートフォンを開いた。
予定表の来週の金曜は空いていた。詩織は七時半に印を入れた。件名を書く欄で指が止まる。『相談』とも『元同僚会』とも書けない。
件名には、『航太と詩織』と入れた。
自分の予定表に自分の名前まで入れるのは少し変だったが、詩織は消さずに保存した。
二人で会うことの意味を少しずつ変えたい時は、友達から恋人になるきっかけの作り方で、相手の反応を置き去りにしない進み方を整理できます。まだ関係に名前をつける前なら、友達以上恋人未満とは?も合わせて読んでください。




